今日は、初心忘るべからず、的な日記です。
書いてる本人は非常に真面目に感じまして、自分自身にとって心に残ったことでした(単に長々と書いてみました)
自動車学校の教習車のエアコンのちょっと上の方にこんな言葉が書いてあるシールが貼ってあります。
互譲精神と思いやり
うん、なるほどね。運転中、常に目に入るような位置にあるので、気づいていました。学科受ける時の教室にも、この言葉が書いてある縦長の紙が貼ってあります。
運転する時はその心構えは当然のように持っていないといけない、と頭では分かっていたし、正しいことも分かっていました。そう、「分かっている」ことでした。
教官が運転中に
「思いやり、譲り合いの気持ちを持つこと。互譲運転ね」
とよく言われます。
路上運転になって、実際の道路を走っているのですが、その「互譲精神」に触れました。なんていうか、すごく感動した
頭で理解しているのと、それを体験することはかなり違う。
以下。長々しておりますので折りたたみ
書いてる本人は非常に真面目に感じまして、自分自身にとって心に残ったことでした(単に長々と書いてみました)
自動車学校の教習車のエアコンのちょっと上の方にこんな言葉が書いてあるシールが貼ってあります。
互譲精神と思いやり
うん、なるほどね。運転中、常に目に入るような位置にあるので、気づいていました。学科受ける時の教室にも、この言葉が書いてある縦長の紙が貼ってあります。
運転する時はその心構えは当然のように持っていないといけない、と頭では分かっていたし、正しいことも分かっていました。そう、「分かっている」ことでした。
教官が運転中に
「思いやり、譲り合いの気持ちを持つこと。互譲運転ね」
とよく言われます。
路上運転になって、実際の道路を走っているのですが、その「互譲精神」に触れました。なんていうか、すごく感動した
頭で理解しているのと、それを体験することはかなり違う。
以下。長々しておりますので折りたたみ
私は街中の直進の道路をもたもた走っていて、うまく左寄せができないで車道の真ん中を走ってしまっていました。すると目の前に障害物(駐車している車両)があり、その向こうは対向車。
このパターンは仮免で勉強したことで、障害物のある道路を走っている車が止まって対向車に道を譲る、っていうのが正答だから、私が止まらなきゃいけない。
でも後続車がバックミラーに近くに映ってる、さっきから私もたもた走ってたから、後続車の夫婦は顔見合わせてちょっとイライラしてるっぽい顔(だと私が勝手に想像)、障害物近いし、障害物の少し手前は右にカーブだし、止まったらヤバイ、左寄せがうまくいかん(これだけのことをおそらく3秒以内で私は考えていました、書くと長いなぁ)、教官が「ブレーキ」と言うので踏み始めました(教官はさっきから「危ない、危ない」と不安そうになっていてブレーキを踏み踏みしていたけど)
すると、対向車の方が先に止まってくれて、道を譲ってくれたのです。しかも対向車は私は1台だと思っていたら2台いて、2台とも譲ってくれました。
教官が
「よかったね、譲ってくれたよ。お礼言わにゃ。ほら、手を挙げて」
と言われたので、手を挙げてみました。しかし、ハンドルから手を離すのが怖くて手が不自然な挙げ方になるわ、顔がぎこちない笑顔だわ、でサイアクなお礼をしてしまいました。教官にも笑われてしまった。教官が代わりに(というか、教官は自らいつも手をあげてお礼言うのだけど)手をあげてくれました。
(余談…この教習が終わってから先生から一言アドバイスがあったのだけど「止まる、進む、どうしよう、の選択があってあなた「どうしよう」じゃいけんよ」とズバリそのままを言われ反省したことでした)
実際に譲ってもらう体験をして、すごく気持ちのいいことだなぁ、と思いました。車の運転技能や知識だけじゃなくて、ゆずり合いの心というのはすごく大切でお互いの気持ちがよくなるんだな、とすごく思いました。そして、気持ちにゆとりがなければゆずり合い、そしてゆずられた側は素直な会釈、というのができないんだな、とも思いました。
で、別の日に路上走った時のことでした。今回は教習所近くの見通しの悪い曲がり角で、対向車は教習の送迎バスでした。夜だったからライトが角から見えて、先生に「あら、車が来るみたいだから待ってあげましょう」と言われたのでブレーキを踏みました。すると、バスがなかなか出てこなくてどうも向こうが譲ってくれているようでした。先生が「譲ってくれてるみたいだから行きましょう」と言うので、アクセル踏みました。
今回はちゃんと手をあげてお礼をしました先生も隣で手を挙げていたので、なんか嬉しかった
うん、すごく気持ちよかったです。言葉を直接かけて言えない分、手をあげて会釈するだけで十分伝えられることができることを感じて、とても嬉しかったです。送迎バスは自分より高い席に座って運転しているので、顔を見ることができませんでしたが、これももう少し運転や気持ちに余裕が持てれば顔を見ることができるんだろうな。
あと、譲り合いを誤解してもいけないこと。譲ったら逆に事故を招く怖れがある場合があるので、状況判断、冷静な気持ちも絶対に忘れないこと。譲られても、油断禁物。譲る場合も油断禁物。
運転免許取るには、知識、技能だけでなく、心の面も鍛えるということを深い意味で考えた私です。性格を変えるのは難しいけれど、心構えを変えることは可能なはずだし。
何しろ、学科教習で悲惨な交通事故の話など、車は使い方次第で「利器」にもなるし「凶器」にもなる、交通事故死する人も交通戦争と言われるほど毎年多い、など運転に対する恐怖感が先立ってしょうがないんで(教習の先生はそういう話をすることで教習生に運転に対する責任感を高めようとしているのだろうけど)、思いやりのある運転をする人に実際触れることができたのは本当に貴重な体験でした。
近況報告(2006/7/2)
この頃、運転教習と仕事の二足のワラジを履いてなんとか両立しています。今やはり免許取得を頑張りたいので、教習の予定を優先させながら生活中です。
6月は要求された残業時間を全てこなしました6月は地震あったり、体調崩したりしたけどとりあえず目標達成(仕事の面でね)。
5月は1ヶ月の要求された残業時間こなせなかったし(3時間足りなかった…)、教習も運転が慣れないし、人見知りで緊張するし、正直、精神的に辛かったです。
最近、疲れが「気持ちいい」です。いつもなら疲れたら「苦しい」「辛い」「もうイヤ」「しんどい」etc …だけど、「今日も頑張ったぞ!」みたいな爽やかな気持ち。
仕事終わった時、更衣室で相変わらず同僚や先輩に「すごい疲れた顔しとるね」といわれてしまいますが、心は元気です(顔は素直に疲れてますが)。実際疲れていても、顔に疲れが出ないような素敵な人もいるので、今はそれは見習いたいです。
このパターンは仮免で勉強したことで、障害物のある道路を走っている車が止まって対向車に道を譲る、っていうのが正答だから、私が止まらなきゃいけない。
でも後続車がバックミラーに近くに映ってる、さっきから私もたもた走ってたから、後続車の夫婦は顔見合わせてちょっとイライラしてるっぽい顔(だと私が勝手に想像)、障害物近いし、障害物の少し手前は右にカーブだし、止まったらヤバイ、左寄せがうまくいかん(これだけのことをおそらく3秒以内で私は考えていました、書くと長いなぁ)、教官が「ブレーキ」と言うので踏み始めました(教官はさっきから「危ない、危ない」と不安そうになっていてブレーキを踏み踏みしていたけど)
すると、対向車の方が先に止まってくれて、道を譲ってくれたのです。しかも対向車は私は1台だと思っていたら2台いて、2台とも譲ってくれました。
教官が
「よかったね、譲ってくれたよ。お礼言わにゃ。ほら、手を挙げて」
と言われたので、手を挙げてみました。しかし、ハンドルから手を離すのが怖くて手が不自然な挙げ方になるわ、顔がぎこちない笑顔だわ、でサイアクなお礼をしてしまいました。教官にも笑われてしまった。教官が代わりに(というか、教官は自らいつも手をあげてお礼言うのだけど)手をあげてくれました。
(余談…この教習が終わってから先生から一言アドバイスがあったのだけど「止まる、進む、どうしよう、の選択があってあなた「どうしよう」じゃいけんよ」とズバリそのままを言われ反省したことでした)
実際に譲ってもらう体験をして、すごく気持ちのいいことだなぁ、と思いました。車の運転技能や知識だけじゃなくて、ゆずり合いの心というのはすごく大切でお互いの気持ちがよくなるんだな、とすごく思いました。そして、気持ちにゆとりがなければゆずり合い、そしてゆずられた側は素直な会釈、というのができないんだな、とも思いました。
で、別の日に路上走った時のことでした。今回は教習所近くの見通しの悪い曲がり角で、対向車は教習の送迎バスでした。夜だったからライトが角から見えて、先生に「あら、車が来るみたいだから待ってあげましょう」と言われたのでブレーキを踏みました。すると、バスがなかなか出てこなくてどうも向こうが譲ってくれているようでした。先生が「譲ってくれてるみたいだから行きましょう」と言うので、アクセル踏みました。
今回はちゃんと手をあげてお礼をしました先生も隣で手を挙げていたので、なんか嬉しかった
うん、すごく気持ちよかったです。言葉を直接かけて言えない分、手をあげて会釈するだけで十分伝えられることができることを感じて、とても嬉しかったです。送迎バスは自分より高い席に座って運転しているので、顔を見ることができませんでしたが、これももう少し運転や気持ちに余裕が持てれば顔を見ることができるんだろうな。
あと、譲り合いを誤解してもいけないこと。譲ったら逆に事故を招く怖れがある場合があるので、状況判断、冷静な気持ちも絶対に忘れないこと。譲られても、油断禁物。譲る場合も油断禁物。
運転免許取るには、知識、技能だけでなく、心の面も鍛えるということを深い意味で考えた私です。性格を変えるのは難しいけれど、心構えを変えることは可能なはずだし。
何しろ、学科教習で悲惨な交通事故の話など、車は使い方次第で「利器」にもなるし「凶器」にもなる、交通事故死する人も交通戦争と言われるほど毎年多い、など運転に対する恐怖感が先立ってしょうがないんで(教習の先生はそういう話をすることで教習生に運転に対する責任感を高めようとしているのだろうけど)、思いやりのある運転をする人に実際触れることができたのは本当に貴重な体験でした。
近況報告(2006/7/2)
この頃、運転教習と仕事の二足のワラジを履いてなんとか両立しています。今やはり免許取得を頑張りたいので、教習の予定を優先させながら生活中です。
6月は要求された残業時間を全てこなしました6月は地震あったり、体調崩したりしたけどとりあえず目標達成(仕事の面でね)。
5月は1ヶ月の要求された残業時間こなせなかったし(3時間足りなかった…)、教習も運転が慣れないし、人見知りで緊張するし、正直、精神的に辛かったです。
最近、疲れが「気持ちいい」です。いつもなら疲れたら「苦しい」「辛い」「もうイヤ」「しんどい」etc …だけど、「今日も頑張ったぞ!」みたいな爽やかな気持ち。
仕事終わった時、更衣室で相変わらず同僚や先輩に「すごい疲れた顔しとるね」といわれてしまいますが、心は元気です(顔は素直に疲れてますが)。実際疲れていても、顔に疲れが出ないような素敵な人もいるので、今はそれは見習いたいです。
昨日はBBSへ温かい書き込みをどうもありがとうございました{びっくり}
私の体調へのお気遣いとっても嬉しく感じます{笑い}
仮免許の取得、本当におめでとうございます!!{拍手}
路上教習での緊張はとても大変だとは思いますが、その中からアリスさんはいろいろな大切なことを感じて吸収されていてすごいなぁ!って思います。{チューリップ}
「互譲」かぁ~言葉としてははじめて聞いたけれど、人間関係のどんなことにもとっても大切な心ですね。
対向の車の方にお礼がちゃんと伝えられたかな^^って、思うとき…嬉しいですよね!
私は助手席なんですが、主人と一緒についつい御礼をしてしまいます。{笑い}
お礼の意味での、ハザード(?)の「チカチカ」を主人の代わりに押させてもらうことも(笑)(家の車は、ナビの位置のせいでちょっとボタンが押しづらくなっていて><)
車という空間に入っていても、人との気持ちのふれあいを感じますね^^。
…ただ、決して温かい気持ちの触れ合いだけではないのが残念ですが…{悲しい}
「煽る」というのでしょうか…ぴったりと後ろにくっついてきて、さも「早くいかんかっ!」とでも言いたげな方や、びっくりするほど過剰にクラクションを鳴らしまくる人…いろいろな人がいますよね{困った}
そういう人は、「互譲」の気持ちなんて、すっかり忘れてしまったのでしょうね><。
私が歩いていて、車に乗っている方に対して気を使う瞬間は…横断歩道ばかりではなく、お店の出入りなどで歩道を横切る必要がある車の方になるべく早く道を開けてあげたいなって思うことかな~。
夫には「慌てなくていいんだよ~」って、言われてしまいますが><{走る}
車の方だって、車道に出て行く「見切り」があるじゃないですか、それの邪魔にならないようにはしたいなぁ~って思います。
(慌ててコケない様に気をつけないといけないけれど{困った})
なんだか、まとまりも無くとっても長くなってごめんなさい><。
天候不順の際は、教習にもどうぞお気をつけて{雨}
お仕事の方も、お身体に疲労はたまっていらっしゃるご様子…
お時間のあるときには、よくお休みになって、疲れを癒してくださいね^^。{クローバー}